コロナ禍で開催された東京オリンピック、スポーツと平和の祭典!

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開催された東京2020オリンピック!

みなさん、こんにちは!アオテアロアです!
毎日、とても暑いですが如何お過ごしでしょうか?

意見が割れた東京オリンピックでしたが、宣言通りに開催されました。みなさんは観戦されていますか?私は観たり観なかったり…ですが、観戦した時は画面越しに選手たちを応援しています。

私が住んでいる市からオリンピックに出場した選手がいて、市の広報から「選手たちに応援メッセージを送りましょう!」とラインが来ました。地元選手っていうだけで親近感がわきます。

メッセージを送る方法は3つ
○ツイッター
○メール(市の広報宛)
○郵送(市の広報宛)

ツイッターでメッセージを送るのが一番簡単でダイレクトに届くかなと思いました。でもこの便利なSNS、今とても問題になっていますよね?心無い「誹謗中傷」が選手たちに送られてくると…
SNSは簡単に他人と交流できる便利なツールですが、便利なモノほど正しく使うように心がけないといけないなと思いました。

オリンピック観戦の合間に、前回の記事に書いた梅干しを干しました。2kg漬けたので結構たくさんあると思ったのですが、実際はそれほど数がなく、ちょっとでいいから梅干しをわけてほしいと言われた友人や知り合いたちに、本当にちょっとずつしかお裾分けできなかったので申し訳なかったです…来年は5kgぐらい漬けようと思います。

梅干し

梅干しを干し終わったので瓶詰めしたのですが、干した梅をそのまま瓶にいれるのか?梅酢に戻して保存するのかがよくわからず、両パターンで保存しました。今はまだ、塩の角も取れずただのしょっぱい梅干しなので、この状態で半年から1年待ちます。時間が経てば経つほど美味しくなるそうなので、お正月に食べようと思います。

オリンピック開催は……○?✕?どっち?

開催前はオリンピック反対の意見が多く、半ば強行に開催された印象がありますが、実際に開催された今、みなさんはどう思いますか?

今回の東京2020オリンピックの開催が決まったのは、遡ること約8年前の2013年9月7日、アルゼンチンのブエノスアイレスで開かれたIOC総会でした。この時、開催都市に立候補していたのはイスタンブール、東京、マドリードの3都市で、それぞれ順番にプレゼンテーションをした後、IOC委員による投票が行われました。

五輪の旗

1回目の投票でイスタンブールとマドリードが同票で並び、再投票が行われた結果、マドリードが落選、最終投票は東京とイスタンブールで行われました。結果は…東京!当時のIOCのロゲ会長が「TOKYO 2020」と書いた投票結果を手にしたのを見た瞬間、日本中で歓喜の声が湧き上がりました!少しは思い出していただけましたか?あの時の喜びを!

そうです!
コロナさえなければ、日本国民みんなが待ち望んだ自国開催の東京オリンピックだったのです! 選手にとってはもちろんのこと、自国開催のオリンピックがもたらす経済効果や、国を上げての盛り上がりや活性化など多大な恩恵を考えると、ほとんどの国民が東京オリンピック開催に賛成していたと思います。

東京オリンピック

でも今は違います。ワクチン接種が進んでもコロナ感染者は増え続け、知らず知らずのうちにコロナに感染して苦しむ人たち、コロナ禍で失業して生活に困っている人たち、何度も発令される緊急事態宣言と行動制限に振り回され、どこへ行ってもコロナ感染対策に気を使う毎日…

8年前とは状況が変わり、人によってはオリンピックを楽しむ心の余裕がないのが現状です。それぞれが置かれる環境によって開催が○であったり、✕であったり、意見が分かれると思いますが、確かなことは…「状況はどうであれ、東京オリンピックが開催された」ということです。

開催に至るまでには、いろんな事がありました。国立競技場の建設問題、エンブレムの盗作疑惑、招致をめぐる贈賄疑惑、マラソン・競歩の札幌移転、コロナ禍でのオリンピック聖火リレーの縮小やランナーの辞退、相次ぐ不適切発言などによる辞任や解雇、そしてコロナ禍での一年延期…

大きな歓声をあげて大喜びしたあの時に、8年後にコロナという感染症と戦いながら「無観客」で開催するなんて、一体誰が想像できたでしょうか?

これは今後にも言えることです。
これから8年後の2029年、日本や世界がどうなっているかなんて、誰にも予想できません。

コロナは収束しているかもしれないけど、新しい病気が流行っているかもしれない。温暖化で気候が変化して今とは全く違う生活をしているかもしれないし、戦争が起こっているかもしれない。宇宙人がやってくるかもしれないし、人間とAIロボットの境界線がなくなっているかもしれない。スマホが時代遅れの携帯になっているかもしれない…先のことは本当にわからないです。

初めてのオリンピック開催はいつ?

過去のオリンピックはどうだったのかな?と気になり調べてみました。

初めてオリンピックが開催されたのは紀元前776年、古代ギリシアのエリス地方にあるオリンピアで始まったとされています。初めてオリンピックが行われた「オリンピア」の地名がオリンピックの語源になりました。

当時の人々はギリシア神話に出てくるゼウス神や神々を崇がめ、その神々に捧げるための競技祭を行っていました。オリンピックの起源になった、オリンピア競技祭に参加できたのは「ギリシア人の血筋を持つ、犯罪歴がない男性」でした。この競技祭を重要視していたギリシア人は、たとえお互いが戦争中であっても戦いを一時中断して、みんなオリンピア競技祭に参加しました。

銅像

その後ローマ帝国がギリシアを支配するようになると、ギリシア人以外の人種も参加するようになり、本来の競技祭とは違うものになっていきました。そして392年、テオドシウス帝がキリスト教を国教と定めたことにより、異教徒の行事であるオリンピア競技祭は禁止されることになりました。

紀元前から始まった古代オリンピックは393年に開催された第293回大会を最後に、1169年間の長い歴史に幕を下ろしました。ここまで行われてきたオリンピア競技祭は「古代オリンピック」と呼ばれています。

古代オリンピック

その後、オリンピックが復活したのは古代オリンピックの終焉から約1500年後の1896年、第1回アテネ大会でした。この大会以降のオリンピックは「近代オリンピック」と呼ばれています。
オリンピックを復活させたのは「近代オリンピックの父」と呼ばれるフランス人教育者、ピエール・ド・クーベルタン男爵でした。彼は「スポーツを通して教育改革を行う」ことを考えました。

当時のフランスは閉鎖的で知識を詰め込むだけの教育が一般的でしたが、この教育法に疑問を持ったクーベルタンが世界の教育現場を見て回り、たどり着いた答えが「スポーツを通して社会性や人間性、国際性を育てる」スポーツ教育でした。

ゴムボート

折しも1852年にドイツの考古学者によってオリンピア遺跡が発掘され、人々の古代の競技祭への関心が高まっていました。それに刺激されたクーベルタンは「スポーツ教育」と「古代オリンピックの復活」への思いを重ね合わせ、新しい競技祭の構想を練りました。

クーベルタンが思い描いたのは一国の国民だけが参加するのではなく、もっと大きな枠組みで捉えた競技祭で、その精神は「スポーツを通して心身を向上させ、国籍や文化の違いを乗り越えて、平和な世界の実現に貢献すること」でした。この精神は今も受け継がれています。

パルテノン神殿※パルテノン神殿:アテネ

クーベルタンは1894年のパリ国際アスレチック会議において、世界の国々にオリンピック復興計画に賛同を求めました。その2年後の1896年、古代オリンピック発祥国のギリシャの首都アテネにて、記念すべき第1回目の近代オリンピックが開催されました。

日本、オリンピック初参加にして歴史に残る記録?

日本が初めてオリンピックに参加したのは、1912年の第5回ストックホルム大会でした。出場選手は短距離走の三島弥彦選手とマラソンの金栗四三選手の2名だけで、三島選手は100メートル、200メートルともに予選最下位に終わりました。

金栗選手はマラソンレースの途中で熱中症で倒れ、近くの住人に助けられたのですが、そのまま翌日まで眠ってしまったそうです。この時、レースを棄権する届出がされなかったため、行方不明扱いとなってしまいました。

時は流れ1967年(昭和42年)ストックホルム大会開催55周年を記念する式典が開催されることになりました。式典に合わせて当時の記録を調べ直したところ「金栗選手が競技中に失踪し行方不明」という記録が出てきました。レースで倒れた時に正式な棄権届を出していなかったからです。

スウェーデンのオリンピック委員会は金栗選手をゴールさせるために記念式典に招待し、76歳になっていた金栗選手も喜んで参加しました。式典当日、金栗選手が大観衆の前でゴールのテープを切って、正式にゴールしました。

その時の様子が…
「日本の金栗、ただいまゴールイン。タイム54年と8か月6日5時間32分20秒3、これをもって第5回ストックホルムオリンピック大会の全日程を終了します」とアナウンスされました。これに金栗は「長い道のりでした。この間に嫁をめとり、6人の子どもと10人の孫に恵まれました」と答え、会場は大きな感動の拍手と歓声で包まれたそうです。(参照:金栗四三の生家HPより)

粋な計らいだと思いませんか?この記録はオリンピック史上最も遅いマラソン記録とされています。

ちなみに日本が初めてメダル獲得をしたのはいつでしょう?
答えは、1920年の第7回アントワープ大会で、テニス男子シングルスで熊谷一弥選手が銀メダルを獲得したのが第一号のメダルです。この時、男子ダブルスでも熊谷一弥・柏尾誠一郎選手ペアが同じく銀メダルを獲得しました。日本初の金メダル獲得は、1928年の第9回アムステルダム大会で、陸上競技・三段跳びの織田幹雄選手です。

余談ですが日本が初メダルを獲得した1920年アントワープ大会の射撃で、オリンピック史上最年長のメダリストが誕生しました。スウェーデンのオスカー・スパーン選手で、大会当時72歳と280日!射撃チームの団体メンバーとして出場し、団体銀メダルを獲得しました。

実は彼は最年長の金メダリストでもあり、この8年前の1912年ストックホルム大会で、64歳で金メダルを獲得、今でも最年長の金&銀のメダリストです。100年たった今でも、記録が更新されていないなんてすごいです。

オリンピックが世界にもたらすものは?

クーベルタンが提唱した「スポーツを通して心身を向上させ、国籍や文化の違いを乗り越えて、平和な世界の実現に貢献すること」というオリンピックの精神は後世に引き継がれたものの、2つの世界大戦による中断や東西冷戦によるボイコット問題など、常に時代の社会情勢に左右されてきました。

オリンピックを開催しようと思ったら、世界の国々がお互いを尊重し理解し合い、そして世界が平和でなければ実現できません。だからこそ、オリンピックは「平和の祭典」であり続けるのです。

もし、近代オリンピックが復活していなかったら…アスリートたちはどこを目指してトレーニングをしたのでしょうか?オリンピックという特別な舞台でアスリートたちが見せる、辛いトレーニングに耐えてきた「努力の汗」と、心の奥底からこみ上げてくる感情から流す「本物の涙」は、人々に大きな感動を与えます。

クーベルタンの熱い想いが、いろんな時代を乗り越えて今の時代に伝わり続けていることは、本当に奇跡です。

ただ…今回コロナ禍で開催されたことで、オリンピックの「裏の顔」が垣間見えたことが気になります。4年に一度の世界的なスポーツの祭典に絡む莫大なお金や利権は、今までは光輝くアスリートたちの影になってあまり表に出てきませんでしたが、今回はIOCバッハ会長をはじめ、関係者たちの「裏の顔」が暴露されました。

人が動くところでお金も動く…それは当たり前のことですが、オリンピック本来の目的は、莫大なお金や利権の獲得などではなく「世界平和の維持と確立に寄与する」ことです。

金と欲と利権にまみれたオリンピックの「汚い裏の顔」が明るみに出たことで、今後オリンピック招致に手を挙げる都市があるのかどうかわかりませんが、日々辛い練習に耐えながら金メダル獲得を目指して頑張るアスリートたちのためにも、オリンピックは継続してほしいと思います。

東京2020オリンピックで日本選手、大活躍!!

毎晩、いろんな競技の試合が行われるので、どれを観ようか迷ってしまいます。チャンネルを変えながら観ると観戦に集中できない、でもメダルを獲得する瞬間を見逃したくない!みなさんも同じではないですか?

今回の東京オリンピックから、野球・ソフトボール(1競技2種目)、空手、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンの計5競技が追加されて、史上最多となる33競技339種目が実施され、約205の国や地域から11,000人以上の選手が参加しています。パラリンピックでもテコンドーとバドミントンの2競技が新たに追加され、計22競技539種目が実施されます。

クライミング

第1回目の古代オリンピックで行われた競技は、1スタディオン(約191m)を走る「競走」の1種目だけでしたが、その後、第13回大会の時に新しい競技が追加され、最終的には18種目にまで拡大しました。

近代オリンピック第1回大会で実施されたのは陸上、水泳、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの8競技43種目。参加したのは欧米先進国の14ヶ国、女性禁制のため選手は男子のみ280人。マラソンで地元ギリシャのスピリドン・ルイスが金メダルを獲得しました。ちなみに女子選手が参加するのは、パリで行われた第2回大会からです。

今回は自国開催ということもあり、日本人選手が大健闘しています。メダル獲得数は今大会が過去最高になる予定です!(今大会のメダル獲得数:金メダル27個、銀メダル14個、銅メダル17個でした)

史上最年長のメダリストの話をしましたが、今大会で史上最年少メダリストが誕生しました。今大会から新たに採用された新種目のスケボーパーク女子で、日本人の開心那(ひらき・ここな)さんが12歳11か月で銀メダルを獲得、史上最年少メダリストとなりました!12歳の彼女に「世界」はどんな風に映っているのでしょう?

今回は他にも忘れられない快挙がありました!卓球混合ダブルス・水谷&伊藤ペアの金メダル、柔道の阿部兄妹とレスリングの川井姉妹、きょうだい揃って金メダル!画面越しに、それぞれの決勝戦を祈るように応援しました。どの試合も接戦の末に勝利。金メダルが決まった瞬間、「やったー!」と全身で喜びを表現する選手たちの様子を見て、感動のあまり私も涙が溢れ出しました(涙)

オリンピックの感動の場面が多すぎて全部をここに書ききれませんが、今大会で印象的だったのが、選手みんなが口を揃えて「オリンピックを開催してもらえたことに心より感謝します」という言葉でした。この言葉を聞く度に、強硬ながらもオリンピックを開催してよかったなと思います。

知ってるようで知らないオリンピックの話

今回のオリンピックで用意されたメダルがリサイクルメダルだってご存知でしたか?2017年4月から2019年3月まで進められていた「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」により、全国各地で不要となったパソコンや携帯電話などから収集した小型金属を利用して作った、オリンピック・パラリンピック史上初となる「リサイクル率100%」のメダルです。

このリサイクルメダルが別のことで注目を集めました。それは「メダルかじり事件」です。名古屋の河村たかし市長が、ソフトボール日本代表の後藤希友選手の金メダルを無断で「がぶり!」とかじった事件です。本当に信じられないです。

アスリートの思いが詰まった、人生を賭けてやっと手に入れた特別な金メダルを無断で「がぶっ!」絶句です…このメダルを獲るために、どれだけの苦労と努力の日々を重ねてきたことか…そんな大切な金メダルを「がぶっ」だなんて本当に許せない!

いくら金メダルをキレイに拭いても、あの「がぶり事件」は一生忘れられないし、たとえ交換してもらえたとしても、表彰台で首にかけた金メダルとは違う…と思うだけで、後藤選手も悲しくなると思います。あの市長に大声で言ってやりたい「バ○ヤロー!」(怒)

後日談:
市長への苦情電話4,000件以上、謝罪会見を行うも反省の色なし。最終的にIOC負担で新しい金メダルと交換することに。なぜ市長が払わずIOC?バッハ会長の広島訪問でかかった400万近い警備費の支払いをIOCは拒否、結局、広島県と市で折半(税金で支払い)することに…市長にもIOCにも、上機嫌で東京見物して帰ったバッハさんにも、みんな怒っています!

怒りを鎮めるには笑うことが一番です。今大会で一番笑ったのは、開会式で披露された「動くピクトグラム」です。あれを見た時、なにこれ?と一瞬、思考が停止、ピクトグラムが動き出すと、あまりの面白さに画面に釘付けになりました(笑)あの「動き」と「表現」と「カメラワーク」が絶妙でした。

なぜ突然あのピクトグラムが出てきたのか?それは1964年の東京オリンピックまで遡ります。

「ピクトグラム」は、トイレや非常口などを示す絵文字のことで、東京オリンピックが開催される以前の日本は、空港をはじめ街中の案内看板のほとんどが日本語表記だけでした。これでは海外から来る人たち困るだろうと考え出されたのが「ピクトグラム」でした。東京オリンピックで初めて披露され、その後のオリンピックでも利用されるようになり、言葉の壁を乗り越える「視覚言語」として広く普及しました。

オリンピックに欠かせないものに、マスコットキャラクターがあります。東京オリンピックのマスコットは「ミライトワとソメイティ」で、未来的なデザインの中に、日本古来の市松模様が取り入れられています。ネーミングには深い意味が込められていて、ミライトワは、「未来」と「永遠(とわ)」のふたつの言葉を結びつけて「素晴らしい未来を永遠に」という願いを込められています。

ソメイティという名前は、日本の桜を代表する「ソメイヨシノ」と、英語で非常に力強いという意味の「so mighty」を合わせて付けられました。命名は「小学生の投票」で決まったことでも注目されました。ミライトワはオリンピック、ソメイティはパラリンピックマスコットとして、大会を盛り上げていくはず…でしたが…

ミライトワ■左がミライトワ、右がソメイティ

でも…ネットではミライトワがほとんど登場しなかったことが話題に。開会式にも呼ばれなかったとミライトワが悲しんでいる様子がSNSにアップされていました(笑)
確かに、ミライトワを見たのは、選手に渡されるビクトリーブーケにさりげなく付いるところだけです。閉会式には登場するのでしょうか?(結果:登場しませんでした…閉会式には出られるかなと旗を手に出番を待っていたのに…最後は涙を浮かべて宇宙へ消えていきました、可哀想すぎる)

最後に五輪のシンボルマークですが、シンプルでかつオリンピックをこれ以上ない形で表現したあのデザインは、なんと、近代オリンピックの父であるクーベルタン男爵が考案したものです。

5輪は5大陸を表しています。青、黄、黒、緑、赤の5色は、地色の白を加えると、世界の国旗のほとんどを描くことができるという理由で選んだと、彼自身が書き残しています。この五輪マークが描かれた旗は、1914年6月のIOC創設20周年記念式典で、クーベルタンによって披露され、1920年のアントワープ大会以降、開会式で使われ続けています。

五輪の旗次回は3年後の2024年パリオリンピックです。オリンピックの父、クーベルタンが五輪マークに込めた想いを引き継ぎながら、パリでは「いつもの」オリンピックが開催されることを心から願います。

面白い動画を見つけたので、ぜひ、観てください!
フランス人的なセンスで「東京オリンピック」をこの上ないほど上手に表現(笑)
「動くピクトグラム」とはまた違う面白さで、センスありです!

今回の東京オリンピック開催が良かったのかどうかは、もっと後にならないとわかりませんが、数年後に今を振り返った時に「東京オリンピックを開催してよかったね」と思えるようなオリンピックになったらいいなと思います。

そのためにも…
みんな~、がんばれ~!\(^o^)/

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コメント

  1. RUMI より:

    オリンピック。無事終わりましたね。テレビで毎日楽しませていただきました。次はパラリンピックこちらも応援したいと思います。賛否両論の開催ですが、これまでの選手の皆様、関係者の方々のご功労を思うと安全に無事終了を願うばかりです。

    • aotearoa aotearoa より:

      オリンピック開催については賛否両論ですが、何度も感動の場面を見ているとやって良かったなと思います。
      続いてパラリンピックも行われるので、こちらも無事に終わってほしいと思います。