もう7月も終わりです…
みなさん、こんにちは!アオテアロアです!
早いものでもうすぐ7月も終わりです…
海外を飛び回っていた時は、1か月が2週間くらい?のペースで過ぎていったので、このまえ桜を見たのにもう紅葉?と思ったらクリスマスが来て、「あっという間」に1年が終わり…気が付けば数年が過ぎさり…時間の感覚がよくわからない状態でした。
でも今回のコロナ禍で仕事をしないで毎日を過ごしても、1か月が「あっという間」に過ぎてしまうことを知りました…
※本日のお花ルドベキア(かな?)
昔、誰かが言った言葉に「年齢と時間が過ぎるスピードは比例する」というのを聞いたことがあります。
例えば人生という道をドライブする時、20歳なら時速20㎞、40歳なら倍の時速40㎞…確かに年々過ぎ去っていく時間が加速しているように感じるので、本当にそうなのかも?と思ってしまいます。
そして、快適なドライブするためには、車のメンテナンス=健康が大事です。健康な時はあたりまえ過ぎて「健康」のありがたみに気が付かないものですが、年齢と共に体に不調が出てくると「健康」は大事だなと実感します。
こうして散歩ができるのも健康だからこそできること!みなさんも、忙しい日常の中で出来ることを見つけて、健康維持してくださいね!健康なら、好きなものも食べられるし、仕事もできるし、旅行へも行けます!
芸術家たちに衝撃を与えたジャポニズムと「浮世絵」
モネの描いた睡蓮は「水の庭」に咲く睡蓮を描いたという話を前回しましたが、実は水の庭は「日本風庭園」につくられました。
なぜモネは「日本風」にこだわったのでしょうか?そこには当時の画家たちに大きな衝撃を与えた「ジャポニズム」がありました。
「ジャポニズム」とは、19世紀後半から20世紀初頭の欧米における「日本趣味」のことで、当時は着物や扇子、陶芸品や浮世絵など、日本のいろんなモノや文化が珍しがられてあっという間に広まりました。
特に日本の「浮世絵」に大きな衝撃を受けたのが当時の芸術家たちでした。浮世絵を愛した画家はたくさんいますが、その中でも特に有名なのがモネとゴッホです。
日本の鎖国が解かれた1854年頃から、欧米で日本の工芸品や陶器などを輸入する商人が増え始めました。長い間、国交がなかった日本から届く品々は、中国の東洋美術品とはまた違う美しさと魅力があり、中国のものとは区別して「ジャポニズム」と呼ばれました。
そして、日本から届いた輸入品を包んでいた紙が…
なんと、「浮世絵」だったのです!
※葛飾北斎 冨嶽三十六景より「神奈川沖浪裏」
当時の浮世絵は庶民の娯楽のひとつでした。浮世絵は「版画」です。版画は大量生産が可能でしたので、人々は絵を見飽きると紙は高価なので捨てずに再利用しました。
再利用のひとつが、長い船旅で運ばれる工芸品や陶器の包み紙でした。今でいう割れ物を新聞紙で包むのと同じ感覚です。輸入品を受け取った人たちが驚いたのは、その梱包紙「浮世絵」だったのです。
この「浮世絵」を見た画家たちは、とてつもなく大きな衝撃を受けました。
新しい手法と言われた印象派の画家たちでさえ思いつかなかった、大胆で斬新な構図、美しくあざやかな色彩、遠近法や立体感など技法を全く気にせず表現された浮世絵は、多くの画家たちをとりこにしました。
当時は筆の後を残さず本物のように絵を描く「写実主義」が主流の時代、印象派の絵さえ認められなかったところに登場した浮世絵は、全てが規格外でした。
荒々しい波や富士山を独特なセンスで描いたり、雨が降る様子を線で表現したり、生き生きと描かれる人物と面白い表情、色鮮やかな珍しい着物…すべてが斬新で、強烈なインスピレーションを与えました。
モネが浮世絵に影響を受け描いた作品がいくつもあります。その中でも有名な絵がこれです。
※妻のカミーユをモデルに描いた作品
ラ・ジャポネーズ 1876年 ボストン美術館
武者が刺繍された真っ赤な内掛けを着ているのは最初の妻カミーユ、手には扇子、畳のような部屋、壁にはうちわ…日本をイメージして描いたもので、ジャポニズムを表現しつつ、モネの西洋的な感性(扇子がフランス国旗の色だったり、カミーユが金髪だったり)も散りばめた作品です。
「水の庭」に再現された浮世絵の世界
モネは30代頃から浮世絵の収集を始め、生涯で集めた浮世絵は300点近くになります。特にモネが愛した浮世絵師は葛飾北斎と歌川広重です。
浮世絵から得たアイデアを構図に取り入れ、水の庭をつくる時にも参考にしています。歌川広重のこの絵を見るとそれがよくわかります。
※歌川広重 名所江戸百景 亀戸天神境内 1856年 メトロポリタン美術館
実際に「水の庭」の池には浮世絵と同じ構図で、グリーンの太鼓橋が架けられ、橋には藤棚がつくられました。まさしく「浮世絵の世界」を再現したのです!
モネ自らが「この庭は私の最高傑作だ」と言っているくらい、とてもお気に入りの庭でした。そして毎日、庭を楽しんでいる時に「庭と池と睡蓮の完璧な美しさ」に心奪われて、その後亡くなるまで睡蓮を描き続けます。
※モネの睡蓮のお話は「印象派の巨匠モネ②」
開国後の1867年にパリ万国博覧会が開催されました。世界42ヶ国が参加し、会期中1500万人が来場、日本が初めて参加した国際博覧会です。
江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展し、時代劇に登場するような、ちょんまげに羽織はかま、刀を腰に差した侍や、美しい着物を着た芸者たちが登場し、人々を圧倒しました。この万博で日本は幅広く紹介され「ジャポニズム旋風」を巻き起こしました。
日本とフランスの交流は、1858年に締結された日仏修好通商条約から途切れることなく続いています。長い交流の成果かどうかわかりませんが、日本の「わびさび」を理解できる感性を持っているヨーロッパ人はフランス人だと思います。
※ジヴェルニー モネの家
100年前は「浮世絵」が流行しましたが、現代は日本の「マンガ」や「アニメ」が若者を中心に影響を与えています。これらはフランスだけではなく、世界中に浸透しています。
漢字も人気があります。以前シャンゼリゼ通りで見かけた10代後半のフランス人青年が、黒地に白い文字で「彼女募集中!」と書いてあるTシャツを着て歩いていました。声、かけづらいし…かけられても困惑するTシャツです(笑)
晩年は白内障で苦しみながらも、完成させた大作「睡蓮」
モネは亡くなるまで睡蓮を描き続けますが、その間に愛する妻アリスや前妻カミーユとの間に生まれた長男ジャンも亡くなり、他にもつらい別れをいくつも経験します。
ジャンはアリスの連れ子、ブランシュと結婚、ブランシュは画家としても活躍しました。ブランシュはモネが亡くなるまで身の回りの世話をしました。
モネは70歳を過ぎた頃から目が悪くなり、右目が白内障にかかります。親交の深かったフランスの首相クレマンソーから白内障の手術をするようアドバイスを受けますが、失敗して失明するのを恐れて手術を拒否し続けました。
1922年82歳の時に、モネと国との間で2年以内に睡蓮池の作品を国に寄贈する契約書が交わされました。しかしその後白内障が悪化し、なんとか光を感じられる…程度、左目も急激に視力が低下し、黄色と白の区別ができないほどになります。
※1920-22年 バラの小道
白内障のため細かな描写ではなく、力強い色使いで表現
翌年の1923年、クレマンソーに説得されたモネは、やっと白内障の手術を受けることになりました。しかし経過が思わしくなく、結果3回の手術を行いました。最後の手術で順調に視力が回復し、再び絵が描けるようになりました。
※ジヴェルニー モネの家
手術をしたことで視界がクリアになると、青色の感受性が高まったのか、絵の配色に青みが増していきます。
しかし筆を進めるうちに、国に寄贈する睡蓮池の絵の制作継続や完成に不安を感じ、何度も断念しかけました。そんなモネを叱咤激励して完成まで導いたのが親友のクレマンソーでした。
モネは何とか気力を持ち続け、亡くなる1か月前の1926年11月まで筆を持ち、睡蓮池の大作を描き続けました。
モネとの別れ…
長男ジャンと結婚した妻アリスの娘ブランシュは、最後までモネが絵筆を握り続ける手助けをしました。オランジュリー美術館に納める大作を描き終えた後、モネは肺がんのため寝たきりになります。亡くなる約1か月前の1926年11月のことでした。
※ジヴェルニー モネの家
月が変わった12月、ブランシュからモネの容体が急変したという知らせを受けた親友クレマンソーは、パリからジヴェルニーに駆け付けました。
ベッドに横たわっているモネの手を取り「苦しいか」と尋ねると、モネは「ノン」とひとこと答え、カミーユとの間に生まれた次男ミシェル、アリスの娘ブランシュ、親友のクレマンソーに看取らながら、静かに息を引き取りました。
※モネの寝室 ジヴェルニー
モネの葬儀は3日後に行われました。葬儀に参列したクレマンソーは、棺に被せられた黒い布を見て「黒はいけません、モネには黒は色ではないのだから」と言い、代わりにブルー地に花柄の布がかけられました。それはモネが描いた睡蓮池と同じ色の布地でした。
モネの棺は教会横の村の墓地に埋葬されました。そこにはモネ家の墓があり、亡くなった家族と共に静かに永遠の眠りにつきました。クレマンソーはモネのお墓の前でひとり、無言の別れを告げました。
渾身の最後の作品、大きな8枚の睡蓮池の絵は、モネが亡くなった翌年にオランジュリー美術館に納められました。
光の画家モネらしく、天井に天窓をつけるように言い残しています。窓からさす光が、季節、天気、時間帯により、絵の表情を少しずつ変化させます。
画家として人生を全うしたモネ、作品には言葉にできないモネの人生が詰まっています。モネの作品だけではありません。多くの画家たちが魂を込めて描き上げた作品は、絵の解説などなくても人の心に大きな感動を与えます。
モネが亡くなった後、最終的にはカミーユとの間に生まれた次男ミシェルが全財産を受け継ぎます。しかし生活のために、モネの作品や、モネが大切にしていたルノワールの作品など多くの絵画を手放してしまいました。
※モネの家 ジヴェルニー
モネが大好きだった浮世絵は高値が付かなかったので売られることもなく、現在はモネの家の壁に飾られています。
モネが亡くなった、その後…
モネの次男ミシェルが亡くなった後、遺言により残された遺品すべて、芸術アカデミーに寄贈されました。
しかし長い間、モネの庭も家も放置され、美しかった花の庭は荒れ果て、睡蓮が咲き誇った水の庭も忘れ去られ、モネがあれほど情熱を傾けて完成させた庭は失われてしまいました。
※ジヴェルニーの庭
その後、1970年代に家や庭の修復が行われました。モネが愛した庭を再現するために、当時の写真や庭の絵、植物の種の注文記録などをもとに、できるだけ忠実にモネの庭を再現しました。
※ジヴェルニーの庭
こうしてよみがえったモネの家と庭は、1980年よりクロード・モネ財団の管理のもと、4月から10月末の間だけ一般公開されるようになりました。
※ジヴェルニーの庭
庭を維持するために10人以上の庭師が花の手入れをし、新しい苗を育て、世界中から訪れる観光客を迎え入れています。
※ジヴェルニーの庭
モネが住んでいた2階建ての家も見学できます。でもご覧の通り長蛇の列が…中は狭く一方通行なので、時間に余裕をもって行きましょう。
※ジヴェルニーのモネの家
家の側に売店があります。ここはモネがオランジュリー美術館に納めた大作、睡蓮池を描くために建てられたアトリエです。売店自体は小さいですが、ぜひ足を運んでみて下さい。
お墨付き!日本に再現された「モネの庭」
今回、印象派の巨匠モネ①~③に載せている写真は2018年の6月下旬にジヴェルニーを訪れた時の写真です。すでに多くの観光客が列をなし、朝一番に行ったにもかかわらず、大混雑でした。
まだ読んでない方はこちら!印象派の巨匠モネ①
※ジヴェルニーの庭
残念ながら、今はコロナ禍でフランスへ行くことができませんが、実は高知県の川北村にあるのです、モネの庭が!
※ジヴェルニーの庭
私自身は訪れたことはないのですが、HPの写真だけ見ると、本当にジヴェルニーのモネの庭かと思う美しさです。
柚子の産地として有名な村で、村おこしの一環として柚子のワイナリーをつくる事業が進んでいたけど頓挫、地域を活かした観光と文化の拠点づくりのためのフラワーガーデン造作に事業を変更、その時にフランスのジヴェルニーにある「モネの庭」を再現しようと決まったそうです(「モネの庭」マルモッタンHPより)
※ジヴェルニーのモネの家
何の伝手もなく渡仏し、この案件をジヴェルニーモネの庭責任者に交渉するというところから始まり、次第に熱意が認められ、結果ジヴェルニーの庭責任者が直接川北村へ足を運び、庭造りの指導をし、本家本元のジヴェルニーから「モネの庭」を名乗ることを許されました。
2000年に開園、今年でちょうど20年、四国八十八景にも選ばれ毎年多くの観光客が訪れています。
※ジヴェルニーの池
フランスへ行けなくても、モネの庭を楽しめると評判ですので、GO TO キャンペーンを利用して訪れてみてはいかがでしょうか?
高知県まで遠すぎる~という方、ここも行ったことがないのですが…
「モネの池」として有名な場所があります。岐阜県関市板取にある通称「モネの池」モネの睡蓮の池を思わせることからそう呼ばれ、インスタ映えするとうわさが瞬く間に広まり、連日たくさんの人が訪れています。
雨が続くと池の水が濁って「ただの池」になるそうなので、お天気チェックもしてからお出かけください!
※ジヴェルニーの池、比べてみて下さい!
長々と、モネについて3回に分けて書きましたが、モネでなくても、どの人生にもいろんな「ドラマ」があると思います。
もし自分の人生は平凡で何もないという方がいるのなら、質問です。「平凡な人生」って何でしょう?
何かに感動したり、笑ったり、喜んだり、悩んだり、苦しんだり、悲しんだり…することがあるのなら、それはもうドラマチックな人生ではないでしょうか?
それでも毎日が同じことの繰り返しで…という方がいるなら、何か新しいことにチャレンジしてみて下さい!きっとわくわくするような「人生のドラマ」が待っていると思います(^^)
インスタグラムで海外の写真を楽しめます!
いつも応援、ありがとうございます!
ここを👇クリックして応援してね(^^)
にほんブログ村
モネについて、わかりやすく説明している絵本です!
コメント
モネとジャポニズムや庭が作られる様子が読めて勉強になりました。
オランジェリーやジヴェルニーへ行くときは、①から③までしっかり
読み返してフランスへ行こうと思います。
それにしても早く海外行けるようになってほしいですね。
1~3まで読んでくれて、ありがとうございます!いつもジヴェルニーではあわただしく写真を撮るだけで、ゆっくり楽しめなくて…
でも背景を知れば見方も変わるし、いろいろ見えてくるかなぁ…と。
オランジュリーもオルセーも長い間、行っていないので、次回は美術館巡りしたいなと思います!
いつになるかわからないけど…私も早く海外へ行きたいです!
モネの作品で一番見たいのが、、
ジャポニズム
ボストン美術館に行きたいと思い何度か計画しましたがまだ実現してません。コロナが落ち着いたら、、、飛行機✈️乗って行きたいです
世界に散らばっているモネの作品巡り…楽しみですね!早くまた海外へ行ける日が来てほしいです。
私もまだ見たことがないので、ぜひ一度は観賞してみたいです。