まだ行ったことがない人は、ぜひ訪れて!美しい国クロアチア!
みなさん、こんにちは!アオテアロアです!
まだまだ続く外出自粛…みなさん、いかがお過ごしでしょうか?
お天気が良い日は少し散歩に出かけたりしていますが、どんどん運動不足になっていくのがよくわかります。気分転換につつじを見に…ちょうど満開で、あざやかな赤色が遠くから見てもキレイでした!
先日、久しぶりに「魔女の宅急便」を観ました。ほうきにまたがって、自由に空を飛べたら気持ちいいだろうなぁ…と想像してしまいます。
ジブリ映画はヨーロッパのいろんな町をモデルに作られていて、そのひとつと言われているのが「アドリア海の真珠」と呼ばれるクロアチアのドブロヴニクです。
「紅の豚」や「魔女の宅急便」にも似たような風景が出てきますよね!今日はドブロヴニクを紹介しようと思います。
クロアチアは日本から約9,300km、直行便がないので乗り継ぎして行きます。
正式名称はクロアチア共和国(クロアチア語Hrvatska:フルヴァツカ)ですが…
人によっては違う名前で勉強したという方も…
なぜなら1991年に独立したので、独立以前に勉強した方は「ユーゴスラビア」として覚えた国です(私もです)
※首都ザグレブ
首都はザグレブ、面積は約5万6452km2、九州の約1.5倍、人口約410万人、人口の約75%がクロアチア人で公用語はクロアチア語です。
バルカン半島の北西部に位置し、北はスロベニアとハンガリー、東はセルビア、南東はボスニア・ヘルツェゴヴィナ、ドロブニク近辺でモンテネグロと接しています。アドリア海を隔ててイタリアと隣り合っています。
※参照:google map
クロアチアと聞いたら「アドリア海の真珠・ドブロヴニク」が一番に出てきますが、実は意外な身近なもの発祥地です…それは何でしょうか?
正解は…サラリーマンの必需品「ネクタイ」です。
ネクタイ発祥の国クロアチア!恋人たちの愛の証、赤いスカーフ!
意外かと思われるかも知れませんが、世界中のビジネスマンが毎日身に着けているネクタイはクロアチアが発祥です。
ネクタイ=ビジネスとか正装というイメージがありますが、その誕生には恋人たちの心からの願いが込められていました。
ネクタイが誕生したのは17世紀に起こった30年戦争でした。ヨーロッパ中を巻き込んだカトリックとプロテスタントの宗教戦争の波はクロアチアにも及び、フランス軍の傭兵として男性たちは戦地へ赴くことになりました。
※参照:クロアタ
女性たちは恋人との別れの時、恋人が無事に帰ってくることを願って、赤いスカーフを愛しい人の首に巻いて送り出しました。
「必ず生きて無事に帰って来て…私はいつもあなたの側にいます」
男性たちは故郷で自分の帰りを待つ恋人のことを想いながら、赤いスカーフを肌身離さず身に着けました。
クロアチアの兵士がみんな首元にスカーフを巻いているのを見て、興味を持ったフランス王ルイ14世が、側近に尋ねました。「あれは何だ?」尋ねられた側近はクロアチア兵のことを尋ねられたと思い「クロアチア兵(クラバット)」と答えました。
※参照:クロアタ
国王はそれを聞いて首に巻いたスカーフのことを、クラバット(Cravat)と呼ぶようになり、今でもフランス語でネクタイのことをクラバット(Cravat)と呼んでいます。
オシャレ好きなルイ14世はこのスカーフを宮廷ファッションとして取り入れ、貴族たちの間ではシルクやレースなどエレガンスでおしゃれなスカーフを巻くスタイルが流行し、その後イギリスへ渡ったネクタイが現在の形になり、世界中に広まりました。
クロアチアを訪れた際は、恋人や大切な人への贈り物にいかがですか?
ネクタイの歴史を知ると、クロアチアのネクタイを手に入れたくなりますよね!大丈夫です、今の時代はネットで何でも買えます(笑)
クロアチアで有名なネクタイブランドは、「CROATA:クロアタ」で、ポトマック社のトップブランドです。
全て専属デザイナーによるオリジナルデザインで、網目模様やクロアチアで最初に使われていた「グラゴール文字」、伝統刺繍など、クロアチアの独特のデザインが取り入れられています。
一本一本、丁寧に手縫いされて作られるネクタイは、アメリカのオバマ元大統領や、天皇陛下にも献上されました。
10月1日は日本での「ネクタイの日」です。
1884年(明治17年)10月1日に、小山梅吉さんが日本で初めてネクタイの製造を始めたことから、この日が記念日になったそうです。
10月1日とは別に、2月14日も「ネクタイの日」で、バレンタインデーにネクタイを贈ってもらおうと制定されたものです。チョコレートにネクタイ…バレンタイン商法、いろいろあります(笑)
ちなみにクロアチアでのネクタイの日は10月18日です。
2003年10月18日にネクタイ研究会『ACADEMIA CRAVATICA』がプーラにある円形闘技場の周囲に巨大ネクタイを巻き付けるという、想像もできないようなビッグイベントを開催、それを記念してこの日がクロアチアの「ネクタイの日」になりました。
クロアタはネクタイだけではなくスカーフも置いているので、良かったらぜひ、立ち寄ってみて下さい。
まずはスルジ山の展望台へ!絶景に感動!
ドブロヴニクに来たら、わぁ~!と叫びたくなるくらい、目に飛び込んでくるオレンジ色の屋根と青い海!
個人的に高い展望台から風景を眺めるのが好きなので、まずはケーブルで高さ412mのスルジ山の展望台へ!
実は現在のケーブルは2010年に復旧したケーブルです。初代のケーブルはユーゴスラブア時代に開通しましたが1991年の爆撃で破壊されてしまいました。
再建する時にスイス製のケーブルを導入したので、駅にはスイスのカウベルが飾られています。約5分でスルジ山展望台に到着!
ここからの眺めは「絶景!最高!」です!
こちらの絶景もどうぞ!
旧市街のオレンジ色の屋根、頑丈な城壁、すぐそばにあるロクルム島、青いアドリア海、どこまでも広がる青空…、全てを一望できます!本当に、海が青いです!
望台の横にある大きな白い十字架はナポレオンが贈ったものですが、その十字架も爆撃されてしまい、今ある十字架は立て直されたものです。
展望台には小さなショップやカフェレストラン、独立戦争博物館があります。
時々、運休していることがあるので、行く前に必ず運行状況を確認してください。
絶景を楽しんだら次は城壁ウォークへ!
ケーブルで下まで降りてきたら、城壁内の旧市街へ!
時間があってもなくても、ぜひ、この城壁を歩いてみて下さい!旧市街の散策も楽しいですが、一番のおすすめは城壁ウォークです。
ヨーロッパでは昔から街の防衛に強固な城壁を築きました。
大砲が発明されるまでは、城壁は有効な防衛手段でした。今でもヨーロッパのあちこちに「城壁」が残っています。
城壁ウォークを楽しめる所は他にもあります。
パッと思いつくところでは…フランスのモンサンミッシェル、ドイツのローテンブルク、エストニアのタリンなど、もし行かれたら他の城壁もぜひ歩いてみて下さい。
ドブロヴニクの城壁は長さ約2km、一番高いところで約25m、幅は3-6mあります。13-17世紀にかけて補強しながら築かれた城壁は、何度か街を襲った地震にもビクともしませんでした。
城壁へ上がる階段は3か所あり、反時計回りの一方通行での見学になります。
時間のない方はドミニコ修道院近くの入口①からピレ門入口②までの黄色の半周コースがおすすめです!
この山側半周コースはアップダウンがありますが、城壁の一番高い所から「ドブロブニクの絶景!」を一望できます!
城壁ウォークを始める前に、必ずお手洗いを済ませて水分も準備しましょう!
さっそく城壁入口①からスタート!
ここからは街並みと、船が停泊している旧港が見えます。今は静かな旧港は、昔は海からの玄関口で、いろんな外国船が出入りしていました。
ここに先人に知恵があります。中世の時代、ヨーロッパ中でペストが流行しました。現在のコロナのように…ドブロヴニクの人たちは感染対策のために近くの島々に隔離施設をつくり、そこでペスト潜伏期間の40日間を過ごしてから上陸を許可しました。
この隔離期間40日間のイタリア語=クアランティーナが英語の隔離・検疫のクアランティーンの語源になりました。中世の時代もしっかり感染対策をしていたことに驚きです!
少し歩き疲れたので一番眺めのいい場所でボーっと街並みを眺めて休憩していたら…
「ん??」小さいけど、目を引くものを発見!!
視力2.0の私にはよく見えたけど、普通の人なら気が付かないかも?
それは、白い屋根の「小さなテラスレストラン」です。(下記写真右端まんなか辺り)
みなさんは、見つけられましたか?
この絶景の中にポツンとある小さなテラスレストラン…
なんで…あそこに?ポツンと一軒だけ…?
今夜のディナーはあそこにしよう!こういう発見が旅の楽しみのひとつです。
それにしても、いつまでも眺めていられる景色…です。
この街が歩んできた歴史と、この街を愛し、この姿を残そうとした人々の想いを感じると、時空を旅しているようです。
この城壁の最高地点はミンチェッタ要塞です。ここを過ぎれば下りと多少坂道があるものの、歩きやすい道になります。
時間のない方は入口②ピレ門から降りられます。
アップダウンを歩くのはちょっと…という方は、入口②ピレ門から水族館近くの入③までの緑色ラインの海側半周コースをぜひ、歩いてみて下さい。時間と元気のある方は引き続き海側コースも楽しんでください!
目線は低くなりますが違う角度からの美しい街並みと、目の前に広がる真っ青なアドリア海を一望できます!
すぐ側にある島はロクルム島で、知る人ぞ知るヌーディストビーチです。最近はナチュラリストビーチというそうですが…
※ロクルム島:絶対にズームで見ないで下さい!危険!
夏は島を一周するミニクルーズがあり、船から裸のアダムとイブを見ることができます。見ていいのかな?と思いつつ、他には海しか見るものがもないので…つい見てしまいます(笑)
海側は街並みが近くなります。
城壁は日陰がほとんどないので、夏の時期は午前中か、日差しが落ち着いてからの午後の時間から夕暮れ時が、歩くのにいい時間帯です。
まだまだ見所いっぱい!ドブロヴニク旧市街を散歩!
旧市街の入口で一番有名なのがピレ門です。門の入口の上に聖ブラホの彫刻があります。ドブロヴニクの危機を救ったことから街の守護聖人になり、街のあちこちで見かけます。
ピレ門をくぐっていくと大きなドームの噴水が見えてきます。
川がないドブロヴニクは常に水不足で、雨水を貯めたり、海水を濾過したり…この問題を解決するためにナポリの建築士に上水道の建設を依頼、噴水が完成したのは15世紀です。
この噴水のおかげで10km以上離れたスルジ山の水源から町へときれいな水が流れるようになり、感謝した市民が建築士の名前を取って「オノフリオの噴水」と名付けました。
旧市街の真ん中に通っている約300mのメインストリート「プラツァ通り」は、なんと、昔は海だったところです!
その昔、この周辺にはローマ人が住んでいました。その後7世紀にスラブ人がやって来てた時に、スラブ人から逃げてきたローマ人が移り住んだのが、海に浮かぶ「小島」でした。プラツァ通りを境にして海側の部分にその小島がありました。
今は石畳で歩行者天国になっているプラツァ通りは、「スラヴ人が住む陸側」と「ローマ人が住む小島」の間にある「海」だったところです!
※人がたくさんいる通りがプラツァ通り
島に住みついたローマ人はラグーサ人と呼ばれ、飲み水と食料を確保するためにスラヴ人にお金を払い、スラブ人の土地を借りて生活していましたが、お互いの関係が良好になるとこの海は埋め立てられました。
一つになった町の周りに城壁が張り巡らされ、ドブロヴニクが誕生しました。
オノフリオの噴水のそばに14世紀に建てられたフランシスコ会修道院があります。
中に入ると2本の柱を組み合わせたロマネスク様式の美しい回廊があります。奥に博物館があり礼拝用の衣装や宝飾品、中世の時代に薬局で使われた天秤や壺などが展示されています。
また回廊に面して1317年創業のヨーロッパで3番目に古いマラ・ブラーチャ薬局があります。現在も営業を続けていて、中世の時代から受け継がれる秘伝レシピで作られたクリームや化粧水が売られ、お土産としても人気です。
自然派コスメが好きな人は、ぜひ立ち寄ってみて下さい!
プラツァ通りの左右に細い路地が延びています。小さなお店やレストランなどを見ながら、ぶらぶら散歩しても楽しいです。
プラツァ通りを最後まで歩くと時計塔とルジャ広場が見えてきます。
時計塔の下をくぐると旧港です。海の玄関口の側なので、この広場に面して美しいアーチのスポンザ宮殿、その向かいに聖ブラホ教会、真ん中に剣を持つローラントの像があります。
※聖ローラント像と聖ブラホ教会
巻き尺や物差しなどが庶民に普及していなかった中世の時代、買った織物などがごまかされていないかどうか長さを確かめるために、ローラント像の右腕半分の長さと重ね合わせて長さを確認しました。「ドブロヴニクの肘」と呼ばれ51.2cmあります。
時間のある方は、旧港から出ているロクルム島一周するグラスボートクルーズを楽しんだり、教会や博物館めぐりをすると、もっと街のことを知ることができます。ネクタイを買いたい方は「クロアタ」もあります。
絶景の中にあるテラスレストラン発見!でも…夕食は旧港のシーフードレストラン
さっき城壁で見つけたテラスレストランが気になるので探すことにしました。
多分この辺りかな…という路地を入っていくとホテルがありました。テラスにレストランがあるか尋ねると「イエス!」とのこと、さっそく屋上へ!
エレベーターを降りてレストランへ入ると…さっき見つけたレストランでした!
さっそく今夜あいているか聞いてみると「予約でいっぱいです」との返事、残念…
写真だけ撮らせてもらいました。
夕食どうしようかな…とぶらぶら歩いていると、同じツアーの方たちとばったり会ったので、一緒に旧港にあるシーフードレストランへ!
人数が多いと賑やかで楽しいし、いろんな料理を注文できるので盛り上がりました!
クロアチアは周辺国からの支配を受けた影響で、オーストリア、ハンガリー、オスマン帝国、ヴェネチア共和国などいろんな国の食文化が流入し、全般的に料理は美味しく日本人の口に合います。
夜の静かな旧市街、ひとり散歩をしながら…
食事の後は夜の旧市街をひとりで散歩、昼間と違って落ち着いて静かな雰囲気…
ここ、ドブロヴニクだけは他の街と違い、他国の支配を受けずに15世紀にドブロヴニク共和国として独立し、巧みな外交術で幾度もの危機を乗り越えて、ナポレオンがやってくる1808年まで独立を守り続けました。
他国からの支配を免れるために、強国には年貢を納め、代わりに自由を手に入れて発展し続けました。ドブロヴニク共和国のモットーは「リベルタス=自由」
この思いを忘れず持ち続けるために、城壁の外の要塞に「どんな黄金との引き換えでも、自由を売り渡してはならない」というラテン語が刻まれています。
第二次世界大戦後、クロアチアは「ユーゴスラビア連邦人民共和国」の一員になりました。
初代大統領チトーは難しい構成のユーゴスラビアを、そのカリスマ性で一つの国家としてバランスよく統一しました。
「ユーゴスラビア」はスロベニア、クロアチア、セルビア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、モンテネグロ、マケドニアの6つの国の集合体です。
当時は「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と表現されました。
しかし主導権は常にセルビア人にあり、チトー大統領が亡くなった後、セルビア人体制に不満を抱いたクロアチア人は、1991年、ユーゴスラビアからの独立を宣言、しかし独立を認めないユーゴスラビア連邦軍がクロアチアへ侵攻し、激しい戦いが続きました。
そんな中、1991年12月6日、ユーゴスラビア連邦軍が美しいドブロヴニクの街に約2,000発の爆弾を落としました。
この爆撃で多くの人が犠牲になり、70%以上の建物が全半壊…この時の攻撃でスルジ山のケーブルも破壊されました。悲惨なクロアチア紛争は1995年まで続きました。
※1991年の爆撃で破壊された場所を示す地図:旧市街
戦争終結後、市民みんなが一致団結して瓦礫を拾い集め、なるべく元あった同じもので壊れたところを細部まで丁寧に修復し、現在の美しい街並みを再現しました。
こうして歩いていても、この街に約2000発の爆弾が落とされたとは、とても信じられません。美しいドブロヴニクに隠された歴史的背景と、この街を守り愛し続ける人々の想いを知ると、本当に「平和」は大切だなと思います…
最近テレビで「コロナとの戦争」という言葉を耳にします。戦争の相手が人間であっても、ウイルスであっても、当たり前の日常を失って初めて「当たり前のものはない」ということに気付かされます。
もしコロナで生活が一変して人生どん底におちいったとしても、一筋の希望の光を追い求めながら、一歩ずつ、確実に前に進んでいけたなら、きっと輝く新しい未来が待っています。
人生、越えられない壁はありません!
ドブロヴニクの人たちが、壊れた「心のかけら」と「粉々になった瓦礫」をみんなで拾い集め、再び「美しい街と平和」を取り戻したように…
また海外旅行を楽しめる日は、まだまだ先になるかもしれませんが…その日はいつか必ず来ます!
その時は「自由と平和」というパスポートを持って、みなさんが「今、一番行きたい場所」へお出かけください!「世界」はみなさんが想像している以上に、広くて、自由で、とっても面白いです!(^^)
インスタにもたくさん写真があります!よかったら見て下さい!
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コメント
写真でしかみたことなかったドブロブニク、この記事とリアルな地図を見たら行くしかないですね。(笑)高台の眺め、私も大好きです。運気アップにもつながりそうで。「紅の豚」や「魔女の宅急便」にあったとは。本当に風景とアニメが同じですね。素敵なテラスレストランを発見されたんですね。シーフード、めちゃ美味しそうです。
ぜひドブロヴニクの美しい景色をその目で!見たら感動します!
あのレストラン、素敵で行きたかったのですが…あの絶景の中、ひとりで食事は寂しかったと思います…
結局大人数でシーフード&ワインを楽しめたので良かったです!
ジブリ映画はいろんな街からインスピレーションを得て構成されているようです。
ドブロヴニクもいいですが、個人的にはスプリットとコルチュラ島も好きです。
また別の記事で紹介したいと思います!
ドブロブニク城壁ウォークからの絶景は素晴らしいですね。シーフード食べたくなりました。予約の難しそうなレストランのようですが行くチャンスがあればtryしたいです。
暑い夏でも汗かきながら歩きました。城壁は何回歩いても、あの景色に感動です!
眺めのいいレストランはカップルで訪れる人が多いみたいなので、ひとりではなく誰かと行きたいです!
あそこのシーフードは美味しくて料理もワインもおかわりしました(笑)