オーベンドルフで誕生した「きよしこの夜」聖夜に響く奇跡の物語!【後編】

サンタクロース オーストリア

今日はクリスマスイブです!

みなさん、こんにちは!アオテアロアです!

今日はクリスマスイブですね!といっても、わが家はキリスト教徒ではないので、何か特別なことをする訳でもなく、いつもと同じ毎日ですが…でもなぜか、ケンタッキー・フライド・チキンが食べたくなります(笑)

今年はコロナ禍でヨーロッパのクリスマスも大変みたいです。イギリスで「変異種コロナ」が発覚し、急遽、移動制限がかかったため家族とクリスマスを過ごせない人も出てきているようです。早くコロナが収束するよう祈るばかりです。

先日、ブログで紹介したピエール・エルメが、セブンイレブンとコラボして出しているケーキを友人に教えてもらい、さっそく買ってみました!

コンビニスイーツなのに480円(税抜)もしますが「ピエール・エルメ」という名前が付くだけで買ってしまいます(笑)

食感の違うフランボワーズを何層にも重ねるところがピエール・エルメらしいです。フランボワーズと、その下のローストカカオとブラウニーの配分がぴったりのバランスで、ちょっと甘めですが寒い冬にはちょうどいい美味しさです!みなさんも見つけたらぜひ、食べてみて下さい!

昨日【前編】をアップした後、インスタグラムで「#きよしこの夜」で検索したら、たくさんの人たちが動画をアップしていました。

歌を歌う人、ギターやピアノ、ウクレレ、カリンバなどの楽器で演奏する人…様々でした。いろんな人たちの歌や演奏を聴いて「きっと、モール司祭もグルーバーも喜んでいるだろうな」と思いました。

※ウィーン市内Xmasイルミネーション

「きよしこの夜」を聴いている間だけは、すべてのことを忘れて、こころ安らぐことができます。本当に不思議なパワーを持った歌です。

現代はSNSやYouTubeなどの動画サイトで、一瞬にして世界中に情報を発信できますが、200年前の電話もテレビもネットもない時代に、世界中に何かを広めるのは容易なことではなかったはず…

「きよしこの夜」のように、たくさんの人たちの心を動かすものだけが、人と人を繋ぎながら広まっていったのだと思います。

チロル民謡じゃなかった!奇跡的な「偶然」

さっそく【前編】の続きです。

年が明けて雪が溶け始めた頃「オルガンが故障した」という手紙を受け取ったオルガン修理職人が、チロル地方から山を越えてオーベンドルフにやってきました。

グルーバーは修理職人に、故障したオルガンの代わりに、急遽作った歌を「ギター伴奏」で歌ったという話をしました。修理職人はこの話に興味を持ち、その楽譜を見せてほしいと頼みました。

モール司祭もいなくなり演奏も禁止された今、持っていても仕方ないと、グルーバーは修理職人にその楽譜を渡しました。こうして修理職人は楽譜を持ち帰り、町の人たちと一緒に偶然手に入れた歌を聴きました。

※ウィーン:シュテファン大聖堂

すると「なんて素晴らしい歌なんだ!感動した~!」と、みんなが口をそろえて言いました。そして人から人へと歌い継がれ、いつしか多くの人たちに歌われるようになりました。

地元で活動する有名なライナーファミリーやシュトラッサー兄弟などの「巡業合唱団」がこの歌をレパートリーに加えたことで、一気にヨーロッパ諸国やアメリカなどに広まりました。サウンドオブミュージックで有名なトラップファミリーも歌っていました。

しかし歌だけが広まり、モール司祭とグルーバーの話は忘れられ、作詞作曲者が不明のチロル地方の民謡として広まりました。

※デメルのショーウインドウ2019年Xmas

ではなぜ、モール司祭とグルーバーが作った歌だとわかったのでしょうか?
それは奇跡的な「偶然」から始まりました!

あの教会で初めて演奏されてから36年後の1854年、ベルリンの王室オーケストラからザルツブルクの聖ペテロ修道院に、クリスマスイブに演奏する「きよしこの夜」の楽譜の写しがないか調べてほしいと要望がありました。

当時、この聖歌の作者は有名な作曲家フランツ・ヨーゼフ・ハイドンの弟、ヨハン・ミヒャエル・ハイドンではないかと思われていました。ミヒャエル・ハイドンはザルツブルクで多くの聖歌を作曲していました。

※ザルツブルクとザルツァハ川

聖ペテロ修道院は聖歌隊や少年合唱団を育成する学校としても有名で、音楽関連の多くの資料がここに集められていました。その中に楽譜があるのではないかと推測されたのです。

ところが、そこに奇跡的な偶然が!!!

なんと、作曲者グルーバーの息子のひとりフェリックスが、聖ペテロ修道院の少年合唱団に所属していたのです!フェリックスはこの話を聞き、実はこの聖歌の作曲者は父であることを修道院長に告白しました。

そしてグルーバー自身が、みんなにこの歌が作られた経緯を説明し、ようやく聖歌の真相が明らかになりました。

それまでは「作詞作曲者不明」名前も「チロル民謡」だった聖歌は、その後「作詞ヨゼフ・モール、作曲者フランツ・クサーバー・グルーバー、聖歌名きよしこの夜」として、知られるようになりました。

※キリストの降誕場面を再現したクリッペ

グルーバーはモール司祭と作ったあの一夜限りの聖歌が、その後チロル地方から各地に広まったことを知ることができましたが、残念ながらモール司祭は自分が作詞した曲がたくさんの人たちに愛されていることを知ることなく、奇跡的な偶然が起こる6年前に亡くなっていました。

音楽が導いたふたりの出会い

この奇跡の聖歌を作詞したヨゼフ・モール司祭は1792年、ザルツブルクで兵士をしていた父と編み物職人の母との間に生まれました。

しかし二人は結婚をしていなかったため私生児として育てられます。貧しいながらも成績優秀でとても歌が上手く、地元でも評判の少年でした。ザルツブルク大聖堂の大司教はモールの才能を見いだし、経済的な援助をしてモールを神学校へ通わせました。

23才の時に聖職者の資格を取得したモールは、1817年にオーベンドルフの司祭として赴任し、翌年27才の時に「きよしこの夜」が作られました。

その後は赴任先を転々とし、どこへ行ってもいつも人々に寄り添い、多くの人たちに慕われながら、1848年56才でこの世を去りました。

※モール司祭のステンドグラス:きよしこの夜礼拝堂内

モール司祭の詩に曲をつけたフランツ・クサーバー・グルーバーは1787年、ザルツブルク近郊のホッホブルクという町の貧しい亜麻布職人の家に生まれました。子供の頃から音楽が大好きで才能もあったことから、当時の学校の先生にオルガン指導をしてもらいました。

その後、教師になるために猛勉強をし、20歳の時に教師と教会のオルガン奏者としてアルンスドルフに就任しました。しかし、隣村のオーベンドルフにオルガン奏者がいなかったため、アルンスドルフとオーベンドルフ両方のオルガン奏者として働くことになりました。

※グルーバーのステンドグラス:きよしこの夜礼拝堂内

そして1818年、31才のクリスマスイブの日に、モール司祭から「詩」を託され、ギター伴奏できる曲を作り「きよしこの夜」が誕生しました。しかし司教により演奏を禁止され、楽譜を修理職人に渡したことで「きよしこの夜」を手放してしまいます。

その後、アルンスドルフで22年あまり教師生活を送った後、ベンドルフで校長を務め、1833年56才の時にハイランで聖歌隊長に就任し、最後まで大好きな音楽活動に関わり続けました。1863年ハイランで老衰のため76才で亡くなりました。

ハイランの町にある、グルーバーが住居として使っていた建物は、現在「きよしこの夜」博物館になっています。

※オーベンドルフ:二人の記念像 モール司祭の肖像画がなかったため、わざわざ墓を掘り起こして頭蓋骨を参考に顔をつくったそうです…

こうしてみると、ふたりは貧しい環境に生まれながらも、子供の頃から音楽が大好きで才能にも恵まれ、そんなふたりの人生が交差したクリスマスイブの日に、偶然誕生した「きよしこの夜」は、まさに奇跡の聖歌です!

この聖歌にはふたりの「平和と希望」への強いメッセージが込められています。その想いは、確実に、あらゆる人々の心に届きました。第一次世界大戦で激しい戦いをしていた激戦区の最前線にいた兵士たちの心にも…

奇跡の「クリスマス休戦」

これは有名な話なので何度もドラマ化や映画化されているので、ご存知の方も多いかと思います。

特に有名なのは、語り継がれている史実を集めて2005年に制作された映画「戦場のアリア」です。幾分か脚色されているかもしれませんが「クリスマス休戦」があったことは事実です。

1914年に起きたサラエボ事件が第一次世界大戦へと発展し、ヨーロッパは瞬く間に戦場となり、その中でも激戦を強いられていたのが西部戦線でした。

ドイツ軍とイギリス・フランス軍が睨み合う最前線で、お互いの陣地には塹壕が掘られ、塹壕から頭を出せば数十メートル先の敵陣から銃弾が飛んでくる、まさに死と隣り合わせの場所でした。

そんな激戦地に、初めてのクリスマスが訪れようとしていました。クリスマスと言えば、クリスマスツリーを飾り、家族みんなで食卓を囲んで幸せなひと時を過ごす、一年で最も幸せな時間です。

※ザルツブルクのXmasマーケットより

それなのに目の前あるのは、おびただしい血と無残な死体の山、傷ついた仲間たち…

若い青年兵士たちは悲惨な戦場で、家族や恋人のことを想いながらクリスマスイブを迎えました。「クリスマスなのに、俺たちは家族のもとに帰れないんだ…、なぜ戦争を続けなければいけないんだ…帰りたい、家族のもとへ」口にはださなくても、みんなが心に思っていることでした。

そしてイブの夜…

ドイツ軍の塹壕から聞こえてくる美しい歌声…イギリス・フランス軍が警戒しながら耳を澄ませてよく聞くと、それはドイツ語の「きよしこの夜」でした。

歌っていたのはテノール歌手のヴァルター・キルヒホフでした。ヴァルターは兵士たちのために慰問公演をしていました。その美しい歌声は敵軍の塹壕にまで届きました。

この歌声を聞いたフランス軍の将校が「これは…かつてパリ・オペラ座で聞いた歌声だ!」と気付き、賞賛の拍手を送りました。そして自分たちも「きよしこの夜」を歌いました。

歌が終わると辺りは静まり返りました。するとヴァルターは塹壕を出て、最前線地帯へと歩み出ました。警戒しながらその様子を見ていたフランス軍将校も、塹壕を出てヴァルターへと近づきました。兵士たちは固唾をのんでその様子を見守りました。

ふたりの距離はどんどんと縮まり、そしてついに、手を取り合ってあいさつを交わしました。自分の歌に賞賛の拍手をしてくれたことに感動したヴァルターが取った行動に、フランス軍将校も応えたのでした!

それを見た兵士たちは、武器を置き、ひとり、またひとりと塹壕から飛び出し、同じように相手に歩み寄り…そしてお互いに手を取り合いました。この時、戦場から銃声や砲声が消えたのです!「きよしこの夜」を歌ったことで、みんなの心に変化が起きたのです!

私はこの話を聞いて、とても感動しました!

過酷な激戦地で心も身体も疲れ、人を殺さなければ自分が殺されるという恐怖と、どこへも逃げられない絶望に押しつぶされそうになりながら戦う兵士たちの心を、たとえ一瞬でも「人間らしい平和な心」を取り戻させたことに…

「きよしこの夜」が持つ、魂に響いて人の心を動かす「奇跡のパワー」に、どれだけ多くの人たちが救われたことか…この聖歌はモール司祭とグルーバーを通じて、神様がすべての人たちにプレゼントした歌だと思いました。

でも戦争は止められず…

この一件で激戦区の戦場で「クリスマス休戦」の協定が結ばれました。夜が明けてクリスマス当日、兵士たちは武器を置いて再び塹壕から飛び出し、お互いの手を強く握りあいながらクリスマスのあいさつを交わしました。

そこにあるのは「敵味方」ではなく「ひとりの人間」としての存在でした。そしてみんなでクリスマスを祝福し、放置されていた戦死者の遺体を敵味方なく埋葬し、持っていたウィスキーやジャム、タバコやチョコレートなどを交換しあい、離れて暮らす家族や恋人について語り合いました。

他の前線にもこの動きが伝播し、各現場の指揮官の判断で「自発的なクリスマス休戦」の協定が結ばれました。この時の休戦は白黒写真にも残されていて、中にはフットボールを楽しむ様子まで写されています。

※クリスマス休戦でサッカーをする様子 参照元:http://losdiariosdewinston.blogspot.com/2014/10/henry-williamson.html

本当は戦争なんかしたくない!クリスマスの日に殺し合いはしたくない!という兵士たちの心が、この「クリスマス休戦」の奇跡を実現させたのだと思います。

しかし、戦争をコントロールするのは最前線の兵士ではなく、軍の上層部たちです。上層部の命令が「絶対」である軍事下で、この「自発的な休戦」は許されるものではありませんでした。

上層部はこの休戦を「反逆行為」とみなして激怒、さらに公式記録からこの事実を抹消しました。そして兵士たちはまた戦場に戻りました。

そこにある現実は「殺すか、殺されるか」のどちらかしかありません。自分の意思とは関係なく、命令されれば一度は「手を握り合った相手」に銃口を向けなければいけないのです。

開戦(1914年7月28日)当初は、誰しもがこの戦争はすぐに終わるだろうと思っていました。クリスマスには家族のもとに帰れると信じていました。

しかし結果は約4年にも及ぶ長い戦争になり、戦死者の数は1,600万人を超えました。これが人類最初の大きな戦争、第一次世界大戦です。

※パリの奇跡のメダル教会:世界平和を願って…

その後、戦場で迎えた3回のクリスマスでは、休戦はありませんでした。1回目の教訓から「クリスマス休戦」をしないように、上層部が厳しく命令したからです。

運よく戦場から生還した兵士たちが、この「クリスマス休戦」のことを家族や友人に伝えたことにより、証拠は少ないながらも、これが事実であったという事が広く知られるようになりました。

オーベンドルフの「イブのミサ」

約200年前に誕生した「きよしこの夜(ドイツ語:Stille Nacht)」は、まるで自分の意思で動くかのように世界中に広まり、今では約300の言語や方言に翻訳されています。

戦争までも中断させた「きよしこの夜」現在は誕生の地オーベンドルフで大切に歌い継がれています。

ちょうど3年前の2017年、クリスマスイブのミサに参加してきました。午後、ザルツブルクを出発し、早めにオーベンドルフへ着くと、まずはきよしこの夜礼拝堂へ。でも中が狭いので、入るための行列ができていました。

※きよしこの夜礼拝堂

礼拝堂の中にはモール司祭とグルーバーのステンドグラスがあり、真ん中には小さな祭壇があります。

余った時間で博物館やクリスマスマーケットを楽しみ、あとはミサの時間を待ちます。ミサを近くで観たい人は寒くても早めに場所取りすることおすすめします。

17時になると空砲が撃たれ、赤い服を着た兵士たちと村人たちが礼拝堂の前に並び、世界の平和を願いながら「きよしこの夜」が歌われます。伴奏はもちろんギターです。

目を閉じて、静寂の中に響き渡る「きよしこの夜」を聴きながら、この長いストーリーに想いを馳せ、この場にいた人たちと一緒に世界が平和であることを祈りました…

「きよしこの夜」
作詞:ヨゼフ・モール
作曲:フランツ・クサーバー・グルーバー
和訳歌詞:由木康(ゆうき・こう)

1.きよしこの夜 星はひかり
  すくいのみ子は まぶねの中に
  眠りたもう いとやすく

2. きよしこの夜 み告げ受けし
  牧人(まきびと)たちは み子のみ前に
  ぬかずきぬ かしこみて

3.きよしこの夜 み子の笑みに
  恵みの みよの あしたの光り
  かがやけり ほがらかに

3年前、オーベンドルフで美しい奇跡の聖歌「きよしこの夜」を聴けたことに、心から感謝しています。私は歌も上手くないし楽器の演奏もできないけれど、こうして書くことで「きよしこの夜」を一人でも多くの人に紹介できればと思います。

また機会があれば、オーベンドルフを訪れてみたいです。2017年は暖冬で「雪のない」クリスマスでしたが、今でも思い出に残るイブです。

※ウィーンのXmas市2019年

みなさんも今夜はぜひ、1日も早いコロナ収束と平和を願いながら「きよしこの夜」を歌い、愛する人と一緒に素敵なクリスマスをお過ごしください…

きっとサンタさんが、素敵なクリスマスプレゼントを運んできてくれます!(^^)

【前編】をまだ読んでいない方はこちらからどうぞ!

 

海外旅行が再開したら、ぜひ訪れてほしい、パリにある「奇跡のメダル教会」

 

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コメント

  1. RUMI より:

    クリスマス休戦。良い話ですね。戦争や争いや災害や疫病の無い世界になりますように祈ります。メリークリスマス

    • aotearoa aotearoa より:

      とても疲れている時に優しい音楽を聴くと心が癒されます。
      多分、兵士たちも戦場できよしこの夜を歌って「心」を取り戻したのだと思います。
      平和で希望を持って安心して生活できる世界になることを心から願います。

  2. pocoapoco より:

    作者が不明だったきよしこの夜が奇跡によって作者がわかった話に
    驚きました。神様がお力添えしたように感じます。
    クリスマス休戦の話も一時期とはいえ、素敵なエピソードですね。

    • aotearoa aotearoa より:

      やっぱり、きよしこの夜は神様から全ての人へのプレゼントだと思います。
      一年中歌う歌ではないけれど、たとえ一年に一回でも平和と希望に満たされる気持ちになれるなら、救われる人もいるはず…
      この先も平和であり続けることを祈ります…