オーベンドルフで誕生した「きよしこの夜」聖夜に響く奇跡の物語!【前編】

きよしこの夜ミサ オーストリア

今年の冬は寒くなる?

みなさん、こんにちは!アオテアロアです!

真冬の寒さが日本列島に流れ込み、地域によっては稀にみる大雪が降ったりして、今年の冬は去年より寒い冬になりそうです。

増え続けるコロナ感染者、「医療がひっ迫する!」との医療従事者たちの悲痛な叫びと、世論の影響からか、菅総理が突然「GO TO トラベル、一時停止!」の発言に日本は大混乱…

菅総理は、コロナ禍と日本経済を今度どのように舵取りしながら進めていくのでしょうか?

※2019年ウィーン市庁舎クリスマス市

みなさんはこのコロナをズバリ!予言したインド人の14歳の少年、アビギャ・アナンド君をご存知ですか?

アナンド君が「2020年12月20日に新種のウィルスが出現し、コロナより危険なスーパーバグ(どんな抗生物質も効かない超耐性菌)が2021年3月31日まで流行する」と予言しています。

ちなみに、コロナで航空業界がストップすることまでも予言していたので、その的中率の高さから、スーパーバグの予言も世界中から注目されています。ちょうどこの記事を書いている最中にイギリスで広まっている「変異種コロナ」のニュースが…個人的には外れてほしい予言です。

今年はコロナ禍で何かと自粛ムードが漂い、クリスマスが近づいても街の盛り上がりは去年より控えめです。本来、クリスマスはキリスト教の行事で、キリストの誕生をお祝いする日です。

日本人は外来の「言葉」も「食」も「イベント」も、自国のものとして取り入れるのが世界一上手な国民です。

いつの間にかクリスマスは「恋人と過ごす一大イベント」へと発展し、最近では「クリぼっち(クリスマスをひとりで過ごすこと)」なる造語までつくられ、検索すれば「クリぼっちの過ごし方」まで出てきます(笑)

でもヨーロッパでは、クリスマスは家族と過ごす大切な日…日本人の感覚とは少し違います。

誰もがクリスマス休暇を取って実家に帰り、家族みんなでクリスマスを祝い、年を越します。クリスマスの日にヨーロッパを旅行すると、すべての施設やお店、博物館、美術館が休業し、風景や街並みしか楽しむことしかできません…

クリスマスまでのアドベント

ヨーロッパでは11月30日に一番近い日曜日(クリスマスまで4回の日曜日を含む)からクリスマス前日までの4週間を「アドベント(日本語では降臨節や待降節)」といいます。

アドベント=到来という意味があり、イエス・キリストの誕生を心待ちにしながらクリスマスの準備をする期間として過ごします。

クリスマスツリー

この時期になると町の広場などには大きなクリスマスツリーが飾られ、クリスマスに必要なものが売られるクリスマスマーケットが並びます。ヨーロッパの暗い冬も、この時期だけはキラキラと輝き、たくさんの人たちで賑わいを見せます。

クリスマスまでの期間を数えるのに有名なものが、アドベント・キャンドルとアドベント・カレンダーです。

※Pixabayからの画像

アドベント・キャンドルは常緑樹で作ったアドベントクランツ(リース)に4本のろうそくを立てて食卓に置き、最初の日曜日が訪れるとろうそくを1本を灯し、2週目、3週目と日曜日が訪れるたびに灯すろうそくを1本ずつ増やしていき、最後の4週目の日曜日に4本のろうそくが灯ると、いよいよクリスマスです。

また子供たちが大好きなのがアドベント・カレンダーです。これは12月1日から指折りクリスマスを数える特別なカレンダーで、カレンダーには24個の小さな窓が付いていて、毎日ひとつずつ窓を開けていきます。全ての窓を開け終えたらクリスマスです。

※Pixabayからの画像

窓の中にはチョコレートやキャンディ、小さなプレゼントなどが入っていて、子供たちは毎日何が入っているかな?と、ワクワクしながら窓をあけます。窓が引き出しだったり、小さな箱や袋だったりと形やデザインはいろいろです。

子供たちは一気に開けたい気持ちを抑えて、毎日ひとつの小さなプレゼントを楽しみながらクリスマスまでの日を数える…素敵な習慣です!

今年はコロナの影響で、ヨーロッパのクリスマスマーケットは小規模で行われているようで、来年はみんなで楽しく幸せなクリスマスをすごせたらいいなと思います。

美しい聖歌が誕生したオーベンドルフ

クリスマスの時期になると、あちこちから聞こえてくるクリスマスソング…たくさんあるクリスマスソングの中で、世界的にも有名で誰もが知っている聖歌「きよしこの夜」があります。みなさんは、この聖歌がどこで誕生したかご存知ですか?

オーナメント

誰もが一度は歌ったことのあるクリスマスの聖歌ですが、誕生したのはオーストリアのザルツブルクの近くにある「オーベンドルフ」という小さな村の聖ニコラス教会です。

オーベンドルフはザルツブルクから北へ約17kmの場所にある小さな村で、ザルツァッハ川沿いに位置し、この川がドイツとの国境にもなっています。ザルツブルクから車で片道約20分、ちょっと足を伸ばして訪れてみるのもおすすめです。

「きよしこの夜」が誕生した聖ニコラス教会は、度重なる洪水被害や老朽化などの理由で1906年に取り壊され、1936年に教会の跡地に完成したのが現在見られる「きよしこの夜礼拝堂」です。側には小さな博物館も建てられています。

※きよしこの夜礼拝堂

「きよしこの夜」が誕生したのは1818年のクリスマスイブでした。作詞をしたのは聖ニコラス教会のヨゼフ・モール司祭、作曲したのは教師兼オルガン奏者のフランツ・クサーバー・グルーバーです。

この聖歌が誕生してから200年以上たった今でも、毎年、オーベンドルフの「きよしこの夜礼拝堂」ではクリスマスイブの12月24日17時からミサが行われ「きよしこの夜」がギター伴奏で歌われます。

オリジナルは6節からなる曲ですが、現在世界中で歌われる曲は、ほとんどが3節です。一説では、歌詞を訳す過程で当時の時代背景からいくつかの言葉が削除された結果だとか…

この歌詞が作られた1816年、オーベンドルフは歴史的に大変な状況下にありました。

長い間、ザルツブルクとその近郊の町や村は「大司教区」として認められた、独立した国のようなところでした。しかしナポレオン戦争によりフランス軍が攻めてきた時、占領されることを恐れて亡命していたザルツブルク大司教が領主権を放棄し「大司教区」としての歴史に終止符を打ちます。

ザルツブルクのクリスマス市」※ザルツブルクのクリスマス

その結果、オーストリアとバイエルン(ドイツ)が覇権争いをしますが、最終的にはウィーン会議によりオーストリアに編入されます。

戦争の影響で支配者が何度も入れ替わり、また農作物の不作により食べるものもなく、人々の生活はとても苦しいものでした。そんな混乱の中、新たな国境が引かれたことで、川の向うにあるラウフェンの町がバイエルン領(ドイツ)になり、自由に行き来ができなくなりました。

※オーベンドルフのクリスマス

今まで共同で作業していた主要産業であるザルツァハ川を利用した塩の交易が行えなくなり、その影響で職を失う人たちが続出しました。

先が見えない苦しい状況の中、モール司祭は「戦争の混乱から、平和への願いと安らぎを求める人たちに、わずかでも希望を持ってもらえ、少しでも今の苦しみから救われる」そんな詩を書きたいと、気持ちを込めて書いたものが、後の「きよしこの夜」の歌詞になりました。

「きよしこの夜」誕生秘話

モール司祭が平和と希望への願いを込めて作った詩が「きよしこの夜」になるのは、詩を書いた2年後でした。どうやってこの素晴らしい詩に美しいメロディーが作られたのか、諸説ありますが一般的に知られている話をご紹介したいと思います。

1818年のクリスマスイブ…その日はクリスマスを迎えるために、教会の夜のミサで聖歌を歌う予定でした。しかし不運なことに教会のオルガンが壊れて音が出なくなってしまいました。なんと、ネズミがオルガンのふいご(オルガンに空気を送る装置)をかじって穴を開けたのが原因でした。

急なことで修理も間に合わず、今夜の聖歌に伴奏をつけられない…教会の司祭ヨゼフ・モールはオルガン奏者のフランツ・クサーバー・グルーバーにこの事を話しました。

そして2年前から書きためていたという自作の「詩」をグルーバーに手渡して「この詩にギター伴奏で曲を付けて、なんとか今夜のミサで歌えないでしょうか」と提案しました。

グルーバーは作曲の経験がほとんどなく最初は断りました。しかしモール司祭は「そこを何とか…、今夜のミサは村人みんなが楽しみにしている大事なミサです。簡単なギターコードで作れる曲でいいのでお願いします」と、諦めずに頼み込みました。

教会では美しい音色を響かせるオルガンを演奏するのが一般的で、庶民の音楽を楽しむギターを「神聖な教会」内で演奏することは許されていませんでした。しかしこの緊急事態では、そんなことは言っていられません。

ギター伴奏が村人たちに受け入れられるかもわからないまま、グルーバーはモール司祭の説得に応じました。なぜならモール司祭の美しい「詩」に心を打たれたからです!そして今夜のミサのために、誰もが覚えやすくて簡単で美しいメロディーを、数時間で作り上げました。

そしてミサが行われる時、モール司祭は教会に集まった村人たちに、オルガンが故障したこと、今夜のために急遽、この歌を作ったことを正直に説明しました。オルガン伴奏がないことに村の人たちは驚いたものの、ふたりの真摯な態度と事情を理解し、村人たちもミサをすることを望みました。

苦しい毎日を送りながらも、クリスマスの時だけは辛いことを忘れて、家族と一緒に過ごせる幸せをかみしめながら、キリストの誕生を祝おう…そう思いアドベントを過ごしてきた村人たち全員が、この日のミサを心待ちにしていたのです!

そしてグルーバーのバスとモール司祭のテノールとギター伴奏で歌い始め、最後を聖歌隊の子供たちが二部合唱で歌いました。こうして「きよしこの夜」が初披露されました。

教会に響く美しい聖歌は、優しく人々を包み込み、その心に小さな希望の明かりを灯し、安らぎを与え、平和な時間が流れました。無事にミサを終えた2人は、心から満足しました。

しかしその後、ふたりはギターでミサを行ったことを司教から厳しく追及され、作詞をしたモール司祭は別の町へ転任、司教はグルーバーに「二度とこの曲を演奏してはいけない」と言い渡し、その後「きよしこの夜」が演奏されることはありませんでした。

こうして演奏禁止された「きよしこの夜」ですが、その後、一体どうなったのでしょう?
みなさんもご存知の通り「きよしこの夜」は二人の手元を離れ、世界中に広まっていきます。

しかし、この夜のミサの話も、ふたりのことも忘れ去られ「作詞作曲者不明のチロル民謡」として広まりました。もし「奇跡的な偶然」に出会わなければ、今でもチロル民謡として歌われていたかもしれません…

長くなりましたので「奇跡的な偶然」については、後編でお話したいと思います。

【後編】はこちら!

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コメント

  1. pocoapoco より:

    きよしこの夜にそんなエピソードがあったんですね。今の時代だったら
    素晴らしい機転と受け入れられそうなことも昔はNGだったんですね。
    オーベンドルフ、小さくて素敵な町ですね。冬のオーストリアも行ってみたいです。

    • aotearoa aotearoa より:

      ヴィ―ス教会もそうでしたが、どんなものにも、その背景にはいろんなエピソードがあるんだなと…
      オーベンドルフのクリスマスマーケットと、きよしこの夜礼拝堂のミサだけで、ほか何にも見なかったので、次回はゆっくり散歩してみたいです!

  2. RUMI より:

    きよしこの夜、、確かに簡単なメロディで幼稚園の時にエレクトーンを習いました時すぐに練習したのを思い出しました。
    早くコロナがおさまり元の生活に戻れますように。アーメン

    • aotearoa aotearoa より:

      エレクトーン習っていたんですね!
      そんなに小さい時からきよしこの夜を知っていたなんて!
      イブの夜に、世界中でたくさんの人たち祈りを込めて歌ったので、想いはきっと神様に届くと思います…
      来年は世界中の人たちにとって、良い年になりますように!